第二百二十五話 公爵が天秤にかけたもの(2) (2/2)

つぶやいた公爵の声は冷え切っていた。 その場にいたルーカスに言ったというよりも、自らに言い聞かせるかのようだった。それに、本当にこれは微々たるものであったが、いつも傲然とした公爵には有り得べからざるm class="emphasisDots">怯えが、垣間見えた気もした。

ルーカスはゴホンと咳払いすると、恭しく頭を下げた。

「クソ真面目で面倒な家臣のために、色々と苦心なさる公爵閣下であればこそ、我らが主君。永遠なる忠誠を尽くすことを、ヴァルナルの分まで誓います」「……相変わらず、口が達者だな」

公爵はフゥと息を吐いて、背もたれに倒れるように身を委ねた。

「お前達を離してはならぬと…言われたからな」

誰に? と聞く必要もなかった。 本来、家臣のことなどに頓着もしない冷徹な小公爵であったエリアスを変えたのは、唯一人、妻であったリーディエだけだ。彼女は様々なものを公爵に与えてくれたが、その最たるものは人としての情であったのかもしれない。

「小公爵様にとってのオヅマもまた、そうであると思いますよ」

ルーカスが微笑して言うと、公爵は宙を無表情に見つめたまま問うた。

「私があの小僧と大公を結びつけた理由がわかるか?」「髪の色と……目鼻立ちですか?」「髪色などはありふれたものだと、そなたも言っておったろう。顔も、相似するところはあるが、さほど似通っているというほどのこともない。だが、あの小僧に会った瞬間に、大公の姿が自然と浮かんだのだ」

ルーカスが首をひねると、公爵は皮肉げに頬を歪めた。

「身に纏うあの<ruby><rb>稟質</rb><rp>(</rp><rt>ひんしつ</rt><rp>)</rp></ruby>。他者を覆う…尊大なる威勢…」「それは……」

言われてルーカスはここに来る直前に、公爵邸で家令のルンビックと話したときのことを思い出す。 老家令はオヅマの臨時の礼法教師となって以来、この問題児と話すことが多かったのだが、元々小作人の小倅だったとは思えぬ態度のデカさに、初対面から違和感を持っていたようだった。

「傲岸不遜なことこの上もないのに、自然と受け入れてしまうのだ……」

老家令と同じものを、公爵も感じ取ったのかもしれない。 <ruby><rb>塵埃</rb><rp>(</rp><rt>じんあい</rt><rp>)</rp></ruby>の中で育っても輝石は光を失わない…ということだろうか。

「正直、今日あの小僧が大公の血を受け継いでいると聞いても、驚きはなかった。シモン公子などに比べても、容色を含めて、大公の優れた資質はオヅマに流れたようだ。もっとも<ruby><rb>稀能</rb><rp>(</rp><rt>きのう</rt><rp>)</rp></ruby>については、さすがに信じられなかったが…」「稀能は血による承継はないものとされていますからな。不思議なことです」

ルーカスは同意しながら、オヅマの持つこの類まれな才能を、しばらくは隠しておく必要があると思った。 大公にとっては、息子であるという事実よりも、オヅマが『千の目・<ruby><rb>瞬</rb><rp>(</rp><rt>まじろぎ</rt><rp>)</rp></ruby>の爪』という稀能を扱うことの方が、より魅力的であることだろう。

当初予定していた、大公に稀能についての教えを乞うことは、避けた方が良いのかもしれない。 その場合、他に教える人間を見つけなければならないが、今現在、大公の他で『千の目・瞬の爪』を教練できるような遣い手がいるのだろうか? いや、いっそのこと……

ルーカスが忙しく頭の中で考えを巡らせている間に、公爵は話を切り上げた。

「具体的な方策は、既にそなたに腹案があろう。ヴァルナルと話し合って決めよ。くれぐれも大公家にさとられぬようにな」

公爵に指示され、ルーカスは「承知しました」と頷くと、踵を返して部屋を出た。

扉を閉める間際にチラリと一瞥する。 椅子に凭れかかって、虚空を見る公爵の顔が、ひどく疲れて見えた。