第二百二十五話 公爵が天秤にかけたもの(2) (1/2)

「エレオノーレ様の死が、大公によって捏造されたものであるとお考えですか?」

ルーカスが問いかけると、公爵は煙を吐いてから無表情に語る。

「もし姉がミーナを追い出し、大公が怒り狂ったとしても、大公妃は皇帝の<ruby><rb>詔勅</rb><rp>(</rp><rt>しょうちょく</rt><rp>)</rp></ruby>を受けて<ruby><rb>降嫁</rb><rp>(</rp><rt>こうか</rt><rp>)</rp></ruby>してきたのだ。そう簡単に離縁もできぬし、公爵家に帰すこともできぬ。非を言い立てられて、あらぬ噂を流されることも避けたかったのであろう。誇り高き姉の心も名誉も無残に傷つけて自死させ、加えて<ruby><rb>公爵家</rb><rp>(</rp><rt>われら</rt><rp>)</rp></ruby>からエン=グラウザを手に入れる……ガルデンティア(*大公家の居城)の狡猾なる老爺の考えそうなことではないか」

ルーカスの脳裏に、いつも大公のそばに付き従う不気味な老人の姿が思い浮かんだ。

「オヅマを差し出して、大公家に過去の偽証を認めさせ、エン=グラウザを取り戻すおつもりですか?」

ルーカスの問いかけに公爵はすぐに答えなかった。葉巻から、ゆらめき上る煙を眺めていた。

「少なくとも…見極める材料にはなるであろう」

固まった顔のまま、冷たく公爵は言った。

オヅマという存在そのものが、場合によっては大公側の急所となる。 身分の低い愛妾への偏愛が過ぎて、正妻である大公妃 ――― しかも皇帝の<ruby><rb>媒酌</rb><rp>(</rp><rt>なかだち</rt><rp>)</rp></ruby>で輿入れした、パルスナ帝国累代の家臣であるグレヴィリウス公爵家の公女を蔑ろにした挙句、あらぬ汚名を着せて、名誉も含め完膚なきまでに抹殺するなど、たとえ大公であろうと簡単に許されることではない。

もし大公側が、オヅマやミーナを<ruby><rb>元大公妃</rb><rp>(</rp><rt>エレオノーレ</rt><rp>)</rp></ruby>の死亡捏造に繋がる重要人物であると考えるならば、放っておくわけがない。彼らの存在を抹消しようと動き出すだろう。 そうなればオヅマには、m class="emphasisDots">人質としての価値があるということになる。 反対にオヅマを大公子として認めて、引き取りたいと言うのであれば、それはそれでm class="emphasisDots">交渉材料として、せいぜい高く売りつけてやるまでだ。

「無論、あちらもそう簡単に認めぬであろう。『影』を送って、再度綿密に調べさせる必要がある」「それは…」

ルーカスは眉をひそめた。

グレヴィリウス公爵直属の隠密部隊 ―――― 『鹿の影』。 彼らの詳細についてはルーカスも把握できていない。 彼らは公爵当人とだけ契約し、その全容は公爵しか知らないからだ。

しかし以前に、それこそエレオノーレの死亡について調査するために、間者としてガルデンティアに送り込んだ者達は、すべて消息を絶ったと聞く。 だからこそ今に至るもこの件については、詳細がわからないままだったのだ。……

「大丈夫でしょうか…」「ふ。ベントソン卿に心配されるとは、『影』もずいぶん侮られたものよ。そうは思わぬか?」

公爵はいきなり誰に言うともなく、やや大きな声で呼びかける。 ルーカスは急に背中がもぞもぞして、辺りを見回した。 当然、部屋には公爵と自分以外誰もいないのだが、どこかの物陰から見られているような気がして落ち着かなかった。 それこそ今この時にも『影』はその名の通り、鹿(*グレヴィリウス公爵家の象徴であり、公爵当人を指す言葉)の影として、息をひそめているのかもしれない。

ルーカスは軽く咳払いしてから、公爵に言った。

「調査についてはお任せしますが、ヴァルナルがオヅマを渡すとは思えませんね」「あぁ…」

公爵は眉間を押さえ、フゥと煙を吐きながら溜息をつく。

「……まったく、真面目な男に貞淑な妻というのは厄介なものだな。夫人がもっと俗物で、辺境の一領主の妻などよりも、大公の<ruby><rb>愛妾</rb><rp>(</rp><rt>あいしょう</rt><rp>)</rp></ruby>の方に興味を示すような人間であるなら、簡単に別れたであろうに」「そのような女であれば、ヴァルナルが好きになるわけがありませんよ」「……だから面倒なのだ。あの二人が別れて、息子共々大公のもとに送り出し、こちらへのm class="emphasisDots">謝礼としてエン=グラウザを返還するのであれば、問題は簡単に済む。ヴァルナルも安全であろう」「大公が嫉妬して、ヴァルナルにまで危害を与えると?」

ルーカスは意外そうに肩をすくめて言ったが、公爵の顔は暗く沈んでいた。 最後に一口吸った葉巻を銀の皿の上に置くと、灰になっていくさまをじっと見つめている。

「お前たちは知らぬのだ。貴き方々のおぞましさを…」